
このコーナーでは、授業で教材として扱った書籍や参考文献を中心に紹介します。
※2学期「ICU受験対策講座」で扱いました。
最上敏樹氏は国際基督教大学の教授で、現在はICUの平和研究所所長も務めている。専門は国際法だが、オーソドックスな実証法学的なアプローチよりも、むしろ国際機構が持つ思想的な意味、あるいは国際社会における規範や正義の問題に関して探求し、また学外に対して積極的に発言を行うことでも知られる。入門的な著作としては『国連システムを超えて』(岩波書店、1995年)、『人道的介入』(岩波新書、2001年)、『いま平和とは』(日本放送出版協会、2004年)などがある。
本書は、好評だった『人道的介入』に続く岩波新書である。国際連盟そして国際連合の形成と活動の歴史的展開の中での、アメリカの位置と役割の変容が、主な主題である。純粋な国際法の立場からアフガン、イラク戦争を扱う著作は多く出ているし、純粋にアメリカ論やアメリカ外交論の立場から今回の戦争を論じる著作はそれ以上に多い。本書はちょうどその中間を行くような、あるいは双方のギャップをよい意味で埋めるような性格である。
意外と知られていないかもしれないが、アメリカは自分自身がその創設に積極的に関与していたにもかかわらず、国際連合に対して積極的に寄与してこなかったし、場合によっては反国連国家的な行動も辞さなかった。ユネスコから長期に脱退したり、パレスチナ問題に対して数多く拒否権を発動したり、自分の思惑通りに国際関係が動かない場合にそれが顕著である。そして、こうしたアメリカの国際機関に対するアンビバレンスは、国際連盟を構想したにもかかわらず肝心の自国が加盟できなかったという第1次世界大戦後の状況にもその起原がある。本書が紹介する数多くの事例は、国連が世界政府としての意味合いを持ちながらもなぜ十全に機能してこなかったのかを理解する上でよい手がかりになる。特に90年代の国際社会の動きとアメリカのかかわりについては、とても参考になる。とはいえアメリカを無視して国際関係を運営することもできない。Rule maker is rule breaker.という言葉もあるが、このアメリカという存在とどうつきあっていくべきなのか、またそこで日本が果たすべき役割とは何かを考える上で必読の本。(芝崎)
※夏期講座「英語で知を読む講座」で扱いました。
日本社会の抱える構造的問題の核心を鋭く突く日本論。日本の伝統文化に日本人以上に造詣の深い著者ならではの視点からの批判は、一読の価値があると思います。(小野木)(講義では英語版『DOGS AND DEMONS The call of modern Japan』ALEX KERRを部分的に読み、参考として日本語版を紹介しました。)
「日本人が書いたものではないことに衝撃を受けました。いくつもの新たな発見があって、勉強しなきゃな、と改めて思いました。」(受講生の感想より)
竹内啓は統計学・経済学の権威である一方で、現代における学問、科学のあり方について、さまざまな著作を発表してきた人です。その議論は単なる理想論ではなく、日本学術会議などをはじめとする日本の学問全体を見渡す組織の取り組みに長年関わってきた人ならではの具体性とわかりやすさを持っています。授業で扱った吉川弘之氏の議論が良くも悪くも工学という理系分野の発想からであるのに対して、文系の中で比較的理系に近い竹内氏の議論は、社会科学の立場も十分踏まえているバランスの良さがあります。
この本では、社会科学の基本的な性格を、自然科学、人文科学といった学問全体との関わりの中で論じた文章をはじめ、学問と人間の関係、宇宙・地球といった単位からみた人間の活動、などといった大きなテーマに正面から取り組んでいます。社会科学、人文科学、自然科学を問わず、これから大学に入ってどのような学問を勉強しようかと思っている人すべてにおすすめできる、21世紀の学問とわれわれ人間のかかわりを考える上での格好の入門書、と言えるでしょう。
なお、ここに収められた文章は、岩波書店から刊行された『岩波講座 科学・技術と人間』というシリーズに竹内氏が書いたいくつかの論文がもとになっています。図書館でこのシリーズを探してみて、興味のあるところを読んでみるのもよいと思います。(芝崎)
社会科学、そして社会科学を含めた学問全体は、この世界とは何か、この世界における人間とは何か、ということ、そして人間がこの世界の中でどのように生きるべきか、人間にとっての幸福や豊かさとは何か、といった問いを問い続けることを、究極の目的としています。そしてこの問題は、狭い意味での学問だけが取り扱ってきたのではなく、絵画や音楽、文学といった芸術の主題となってきたことでもあります。人類全体の幸福や救済、という究極の問いに取り組んだ小説はいくつもありますが、その中でも最高の作品の一つ、と言えるのが、『罪と罰』で有名なドストエフスキーの遺作となった、この『カラマーゾフ』の兄弟です。
この小説は19世紀のロシアで実際に起きた父親殺しの殺人事件に取材を取っています。淫蕩で強欲なフョードルと、その息子で元軍人のドミートリイ、インテリで無神論者のイワン、修道院で敬虔なロシア正教徒として修行を積んでいたアリョーシャ、の3人が主人公で、殺人事件が起きるまでのほんの数日間の出来事が中心になっています。
しかしそこで取り扱われるテーマは、普遍的な意味での愛あり、恋愛あり、政治あり、哲学あり、宗教あり、と実に多彩で、人間が生きていく上で誰もが必ず直面せざるを得ない問題群のほとんどすべてが含まれていると言ってもいいでしょう。有名なのは、ロシア正教の立場に基づきながらも、それを越えていくような人類愛と個人の生き方の調和を追求する、アリョーシャの師であるゾシマ長老の一連の言葉、そしてイワンが児童虐待を例にとって神の存在を否定し、人間が自由を権力に売り渡して平安を得たのだという自己の思想を展開する「大審問官」の章です。
ドストエフスキー独特の、熱を浮かされたようなエネルギーにあふれる登場人物達の会話文の中にひとたび入っていくと、その議論や思想の深さ、人間の感情や思考の一番奥底にある部分を描き尽くしていく筆致に圧倒されることでしょう。そして、これを読んだ経験は、これから先生きていく上で何度となく、読んだ者を助け、支えてくれる、そんな本です。だからこそ、人類が生み出した最高峰の文学作品、とまで言われる作品なのだと思います。今のうちにぜひ一度、読んでおいてほしい小説の一つです。(芝崎)
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